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賤ヶ岳(しずがだけ)の戦い
1583年6/10 ・11(旧暦天正11年4/20・21)は、織田勢力を二分した羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いが行われた日です。勝利した秀吉は亡き織田信長の体制を継承し、秀吉方で功名をあげた脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明の7人は、賤ヶ岳の七本槍と呼ばれています。中でも一番槍・一番首として敵将・拝郷家嘉を討ち取る大功を立てた福島正則は、突出して5,000石を与えられました(他の6人は3,000石)。
尾張国海東郡二ツ寺村(現・愛知県あま市)で生まれた福島正則は、母が秀吉の母の妹という縁で小姓になり、秀吉の子飼いとして賤ヶ岳以前は播磨三木城め、山崎の戦い、以降は小牧・長久手の戦い、四国征伐、九州平定、小田原征伐などで活躍し、1587年には伊予国今治11万3千余石、次いで1595年に尾張国清洲24万石と出世を遂げ、、関ヶ原の戦いでは東軍・徳川家康方に付き、安芸広島と備後鞆49万8,000石を得ました。
出生地の愛知県あま市では英雄視され1889年発足の正則村の由来になっており、合併により現在は地名は残っていませんが、正則保育園や正則小学校、大江川に架かる「正則橋」などに名前を残しています。
※画像は歌川豊宣 作の錦絵、『賤ヶ嶽大合戦の図』